今回でオイロン通信は、成人式を迎えます。20年前、53歳の12月から始めました。メ-ルで多くの人に励まされ、また、対峙した意見もいただきました。有り難い事と思っています。心からお礼申し上げます。いつまで続くか分かりませんが、これからも思ったことを綴りたいと思っています。同時に、社員の中から「自分に任せて欲しい」という方がいたなら、是非お願いしたいと思っています。
今回のテーマは、「善人の沈黙」です。大きな題材であり、対応が難しい問題です。皆さんもご存知の通り、「善人の沈黙」は、キング牧師が1963年に行なわれた人種差別撤廃を求めるデモ「ワシントン大行進」中に、参加者20万人を前に、「I Have a Dream」そして、「最大の悲劇は、悪人の暴力でなく、善人の沈黙である。沈黙は、暴力の陰に隠れた同罪者である」と演説した有名な言葉です。一番の悲劇は、悪人の暴力でなく、善人の沈黙だと、言い切ったのです。悪いと思っていても、批判の声も上げずに、見て見ぬふりをするのは、悪い人達と同罪だと言っています。誰もがこの言葉に納得するのではないでしょうか。自分自身が、沈黙の善人になった記憶があるはずです。また、助けて欲しかった時、温かい言葉を掛けて欲しかった時、慰めて欲しかった時、周りの人(善人)が沈黙するさまに傷ついた事は、誰もがあるはずで、誰しもが、両者の体験を持っているはずです。
40数年前、私がモチベ-ションセミナ-のインストタクタ-を兼務していた時の事です。当時、保険会社のセールスレディーや銀行の貸付社員など、色々な会社のモチベーションアップを請け負っていましたが、ある時、私を含め4人が、ある会社に派遣されました。4人のインストラクターが講義の担当を決めて、約150名の社会人の人達とセミナ-を開催していました。私は「想像力について」が担当で、持ち時間が60分です。講習生の中に入り、講習生から想像力について、色々な意見を吸い上げてまとめる役です。既存の常識にとらわれず、ブレーンストーミングを行います。例えば、家を建てる時、材木、コンクリート、鉄骨、それ以外の材料を想像して建設したなら、どんなメリット・デメリットがあるかを話し合っていた時です。1人の紳士が手を上げ、私はマイクを持って紳士の傍に行きました。紳士は、題材から離れて、「今すぐに主催者のトップに逢わせろ」と大きな声で叫びました。同時にセミナ-参加者の中から5人が立ち上がり私を囲みました。全員が腕まくりをはじめると、そこには鮮やかな刺青が施されていました。決して暴力を振るうわけではありませんが、大きな人間の壁に囲まれ、ある人は大きな声で、ある人は優しい声で「主催者のトップに逢わせろ。あなたに文句はない」と言われ続けました。私以外のインストラクターは見て見ぬふりです。当たり前です。私が彼等の立場なら同じ行動をとっているはずです。セミナ-主催会社はマルチ商法じみた会社で、セミナ-後、勧誘活動をする予定だったようです。当時は携帯電話もありません。講習生を会場から出し、公衆電話で主催者に連絡を取りました。73歳まで生きて来た中で一番恐ろしかった経験です。私以外の3人に助けを求めましたが、彼等も助ける術を持っていません。「善人の沈黙」です。身近に困っている人がいても、どうしても何も言えず黙ってしまう。自分の意見を言うことが、みっともなく恥ずかしく感じる。沈黙を通せば常識的で、適切な振る舞いができる、物分かりのいい人だと思ってもらえる。沈黙を通す人にはこのような深層心理があります。
私は腕力には自信はありませんが、言論については、筋を通し、善人の沈黙にしたくありません。善人が沈黙を破るには勇気がいります。せっかく沈黙を破るなら、相手に届く者でありたい。部下に対しても、生徒に対しても、上司に対しても!(典)