「 2019年06月 」一覧

自然

 私の趣味の1つに農作業があります。畑の広さは約120坪で、独りで耕作するには、MAXの広さです。畑を耕すには、大・小の耕運機を使い分けます。大根などの根菜類は、深く耕す大型耕運機を使います。深く耕すと、ミミズをはじめとする昆虫が掘り起こされて、地面に出てきます。大きな昆虫は、耕運機で切断され、小さな昆虫は太陽に照らされて死んだふりをします。無農薬栽培は、害虫と益虫の宝庫です。耕運機で害虫だけを退治できれば良いのですが、畑は害虫と益虫の共同住宅地なのです。いつもの様に耕運機をかけて、一休みしていると、畑の片隅に小さな動くものを発見しました。茂ったジャガイモの葉の中に、隠れたり、出現したりしながら、何かを食べていました。動かずに、目を凝らしていると、動く動物は「姫ネズミ」と判明。姫ネズミは、体長5cm位で、小さく可愛い顔をしています。本来は森の中で、木に登って木の実を食べて暮らしているネズミです。小さいから色々な外敵に狙われ易いため、用心深いネズミです。以前畑には、大きなドブネズミを見かけましたが、姫ネズミは住宅街では見られないものです。私は、暫く姫ネズミを観察しました。ジャガイモの葉の茂みから、用心深く出て来ては、周りを、キョロキョロ。カラスやハトに見つかれば命を落とします。心を癒してくれる姫ネズミを見ていましたが、畑の前の通りを宅急便が通り、その振動と騒音で、姫ネズミは隠れて、二度と私の目の前には現れませんでした。一時、住宅街の自然を見た思いでした。畑では、春から夏は青虫を中心にした害虫が、冬から夏は鳥が、葉物を食べに来ます。青虫は毎日取ります。葉の奥の方にいる害虫は、割りばしを使います。雨が多いと、何処からか、ナメクジか湧いてきます。無農薬・有機栽培は自然がいっぱいです。

 昔から日本では、自然と人間が平等に社会で暮らしているという考え方が一般的でした。自然が支えていて、自然と人間が協力し合って生まれたのが社会だと考えていました。人間がこの社会の中で生きる権利を持っているように、自然界の生きものたちもこの社会で生きる権利を持っているのです。これは日本が島国で回りが海であり、山と清流の自然に囲まれているからでしょう。しかし、ヨ-ロッパやアメリカでは、社会は人間によってつくられたものとされています。

 私の田舎では、自然の生きものと人間の共存が危ぶまれています。猪は根菜類や豆類をはじめ、最近は稲刈り前の米を食べに来ます。猿はスイカ・トマト等を集団で食い荒らします。オオカミがいた頃は、大きな動物がこんなに増えた事はありませんでした。日本からオオカミがいなくなって約100年位経ちます。江戸時代には、狂犬病に罹ったオオカミがいて駆除しました。明治時代には、山の開発が進み、家畜を襲うオオカミを駆除しました。私の田舎は太古の昔、自然の王国であったでしょう。自然の生きものだけが住んでいた世界だったのです。そこに人間が現れ、暮らし始めました。自然界の食物連鎖が、人間の都合の良い様に作用しました。自然を壊したのは人間かも知れません。

 10年前になりますが、私は東京の蒲田にあった、シニア-アカデミ-に通っていました。シニアの俳優養成所です。毎週日曜日9時~5時まで、発声・滑舌・立ち振る舞い等を習い、歌舞伎で有名な「ういろうり」を暗記したりしました。授業で絶えず注意されたのが、「自然体で振る舞え」という事でした。少し慣れてくると、演技をしたくなるものです。「自然体が一番美しくて説得力がある」という教えでした。1年間の養成が終わり卒業式には、女優の長澤まさみさんが、壇上でスピ-チをされました。長澤さんの歩く姿・スピ-チの手振り・ほほ笑み全てが、体全体から自然に出て、自然の振舞いの美しいこと。女優のオ-ラが、輝いていました。自然体、それは、きどらず、あせらず、背伸びせず、自分なりに行動する事です。笑える余裕も忘れてはならない。(典)