よく、「運も実力のうち」と、日常的に使われています。逆に「運は運だろう。実力は実力だろう」という人もいます。イギリスの心理学者、リチャード・ワンズマン博士は、運の良い人、悪い人の何が違うのだろうと思い、自己申告であるが、それぞれ運の良い人、悪い人にアンケートとインタビューを行い、「運のよい人、悪い人は、その人の考え方や行動で決まる」と論文で発表しました。論文の最初に「運のよい人も悪い人も、平等に世の中の出来事は降り注いでいる」と書かれています。誰にでも、腹の立つことや、頭にカチンと来る事は平等に降り注いでいるが、その人の考え方や、その後の行動で違ってくるとも書かれています。例えば、出がけにワイシャツのボタンが取れているのに気がついた。テスト前の忙しい時に家の用事を頼まれた。元旦の初詣で引いたおみくじが大凶だった。会議に間に合うように家を出たのに交通事故に遭遇して遅刻した。ゴルフに行く途中、霧で高速道路が通行止めで、一般道で行き大幅にプレ-が遅れた。これら全てが、ふざけんな!と言いたくなる事例です。これらのことを、ふざけんな!のままで、俺は運が悪いと納得する人と、自分には必要な事柄と考え行動に移す人がいます。ワイシャツのボタンは早く気が付いて、着替えた。効率の良い勉強方法を考え行動した。大凶より悪いくじは無いと考えた。事故の本人でなくて良かった。高速道路に入っていれば霧が晴れるまでその場で運行不能だった。不幸を幸運に考え行動するのが運の良い人です。以前この通信欄に「人生万事塞翁が馬」と書きました。ピンチをチャンスに変え、逆境の向かい風を利用するのです。私の経験ですが、教え子で、まるで人が変わった様に成績を上げる生徒がいました。テストを受けるたびに偏差値が上がって行きます。偏差値が上がるから勉強が楽しくなる相乗効果か、結果、志望校に合格しました。成績の上がる生徒と成績の低迷する生徒の違いは何なのでしょうか?根底に流れているのが「生徒の素直さ」です。低学年や、成績低迷の生徒は自分の勉強方法が分かりません。時間の使い方、ノートの取り方、日々、彼らから様々な質問を受けます。殆どの生徒は聞いても実行しません。やってみて、効果が上がらなかったら時間の無駄だからと言って一切行動しません。しかし、成績の上がる生徒は、まず行動してみて、成績が上がらなければ報告に来る。こちらも別の方法を提案する。アドバイスが当てはまる事もあれば、ダメなら再度、と繰り返すうちに、本人にピッタリ合う勉強方法が見つかります。自分の勉強方法が見つかれば、一直線に進むのみ。時間の取り方、ノートの取り方、自習の仕方、問題を見て出題者の意図まで分かってきます。単元の重要部分、スルーする部分の見分け方も出来るようになり、成績が上がります。「運が良く、良い成績が取れた」という生徒はいますが、陰でそれなりの勉強と注意事項を聞いて実行しています。大人でも「俺の人生、運が良かった」とか、「あの時あの人に会ってなければ」と言っている人の多くは人生の成功者だと思います。成功者はそれだけで成功した訳ではありません。努力・才能・運などの様々な要素が必要で、どれが欠けてもなし得ないものです。運が悪いと嘆く人は、どれかが欠けているのです。しかし、この理屈はあくまで結果論で後になって分かるものです。だからこそ、後になって振り返ってみると、成功者は「運が良かった」と口にする。運としか説明できない要素があるわけです。巷には、「運を掴み成功者に」との出版物が出ています。本を買い、成功者のマネさえしていれば成功するならこの世の中成功者だらけです。幸運や成功には本当の意味で法則化できないし、どうしても言語化できない何かがあるのでしょう。成功者の運を手に入れた行程、成功に導いた道程は違っても、努力・才能は欠かせない要素なのです。
運という漢字は「足を動かす」という「しんにゅう」と「戦車」を意味する軍から成り立っています。つまりモノを動かすことを意味し、止まっている意味ではありません。運とは常に動かしている、何かと戦っている、という事が根幹にあります。運とは努力の上に立つ産物です。(典)