利口もの

 今年も師走を迎えました。今年の夏は猛暑で、想定外の豪雨がありました。中でも7月15日~16日、岡山県真備町の水害は本当に日本での出来事かというような災害でした。TVのニュースは、関東地方の猛暑と、岡山の豪雨を、連日放映していました。私の田舎(三重県大台町)でも平成23年9月に、紀伊半島を中心に甚大な被害をもたらした、台風12号「紀伊半島大水害」により、死者、行方不明者が多数出て、住宅や店舗、農地に大きな被害が出ました。この時、一級河川「宮川」が氾濫しました。普段の宮川は、日本で最も透明度の高い川です。その川が濁流に変貌を遂げたのです。私にとって宮川は遊びの川でした。川の源流にはアユ・ヤマメ・イワナが生息しています。宮川渓谷は何度もNHKに取り上げられ、毎年、透明度日本一を獲得しています。宮川でヤマメ・イワナの渓流釣りをしている時、一番気を付けなければいけないのが豪雨です。夕立が来ると山奥の川は、みるみる、1m・2m水位が上がり、危険な状態に陥るのです。そのような時、突然魚がよく釣れます。魚も豪雨による濁流で暫く餌が取れない事がわかるのでしょうか。その前にたくさん食べておこうとするようです。その上、釣り上げた魚は、胃袋の中に石を飲んでいるのです。ヤマメやイワナなどの小魚は、濁流に流され、岩にぶつかってケガをしてしまいます。小石を飲んで体を重くして、大雨が降って水が増してくる前に、大きな岩の陰に移動して身を守っています。山の天気は気まぐれで、一瞬の出来事です。川の源流で、魚が多く釣れ始めたり、小石を飲み込んだ魚が釣れたりしたなら、迷わず沢を下りてきます。魚たちは、川の増水、濁流を事前に感知します。小雨なら小石は飲みません。これらの事は釣り仲間では常識です。「魚の天気予報」は正確で間違いがありません。

 天気予報は魚だけではありません。大きな葉を付けている木も、我々に天気予報を告げています。木は、普段太陽の日差しを受け入れ、光合成をするために出来る限り横に葉を広げています。しかし、大雨が予報されると、葉を垂らしたり、葉を上に上げたりして、雨水が溜まらない工夫をします。葉に水が溜まり、重さで葉が落ちてしまっては、光合成が出来なくなり、死活問題です。自然界の樹木も「天気予報」の名人と言えます。家庭菜園を趣味にしている者にとっては、アブラム虫は野菜の天敵です。野菜の葉から養分を吸って、野菜の体力を下げるため、収穫も少なくなります。アブラムシは里芋の葉にも付き、茎を枯らすこともあります。アブラムシは里芋の葉の表にも裏にも付き繁殖率は高いです。台風のような大雨が来る前には、葉の裏側に移動します。里芋の葉の表に雨が当たると葉の窪みに水が溜まり、表に居れば水死です。木に付くダニは、大きな葉の樹液を吸って暮らしています。ダニも豪雨の前には、葉の裏側に移動します。「虫の天気予報」です。よく言われる事ですが、カマキリは積雪を予知して、卵を雪害から守るために、積雪の多い年には地上より高い位置に、積雪の少ない年には、より暖かい地上すれすれに卵を産みます。

 私たちは、人間が一番利口で全ての生物を支配しているように見えますが、本当にそうでしょうか?イワナやヤマメ、アブラムシやダニには、パソコンも無ければ、気象衛星や、アメダスを見る事もできません。しかし、身を守るための天気予報は必ず当たります。正確です。「利口さ」は人間よりも自然に生きる者たちの方が上かもしれません。我々の先祖にも、このような能力があったのかも知れません。哲学者の、内山節先生の「いのちの場所」(岩波書店)に「人間は利口だから文明を作ったのではなく、文明を作らなければ生きていけない程度の能力しかなかったから文明を作った」との一節があります。
我々の職業は文明と、勘と、知識のコラボレーションが必要です。利口者になりませんか。(典)

フォローする