無形財産

 私の日課は、毎日事務所に行くことです。仕事が無くても、休みの日でも、必ず1回は顔を出します。家からは殆ど車ですが、時々自転車で通勤することもあります。先日、車で出かけ駐車場に車を止め、ママチャリに乗って事務所に向かっていた時でした。最初の角を曲がった時、向かい側から来た勢いのいい自転車とすれ違いざまに「塾長、しばらくです。」と挨拶を受けました。私も自転車を止め、話し始めましたが、名前も顔も思い出せません。相手は名前を名乗りましたが、思い出せません。そこで「君は何歳になった?」と聞くと「44歳です。」との答え。この年齢が紐を解いてくれる決め手になります。彼と会っていたのは約30年前です。頭の中が30年前にタイムスリップしました。同級生との話が出てくると、彼の全容が見えてきました。今は都バスの運転手をしている・・30年前から現在の姿に繋がりました。彼の弟も通塾していたことを思い出し「弟は何をしている?」「弟は都立高校の教師をしています。」との答えに、弟の顔と、数学のよくできる生徒であったことも思い出しました。春の日差しの中で、短い時間でしたが、元気に働いている卒業生の後姿を見送りました。

 私の教え子は、約1万人。良い出会いでありました。以前にもこの場所で、卒業生に会いました。小学4年から通塾していた双子の姉妹で、ほとんど区別がつかないため、塾ではニックネームで姉をA子、妹をB子と呼んでいました。高校入学まで通塾し、二人別々の高校に進学しましたが、それ以来会っていませんでした。「塾長しばらく」と同じように呼び止められた顔には面影がありました。「君はA子、B子?」「A子です」と元気に答えが返ってきました。「結婚したよ。」結婚相手は私の知っている教え子でした。教室は異なっていましたが、お互いに私の塾で学んで、社会人になって出会ったようです。旦那が時々私のものまねをして、楽しくやっているようでした。A子と「お前、最高の男をGetしたな~」「私もそう思う」「子供が出来たら連れて来いよ」「分かった、一緒に報告に来るよ。塾に入れるね」と楽しい会話をして別れました。

 声をかけられるのは元生徒だけではありません。生徒のご父母様にも思いがけない場所で話しかけられました。東京での会合からの帰路、電車の入り口に立っていた私に、男性が近づいて来て「伊藤先生ですか?」と声をかけて来ました。中3の塾生のお父さんでした。我が社では例年、受験生とそのご父母様に集まっていただき、進学説明会セミナ-を開催しています。大きな会場で、大勢の参加なので壇上の私には一人一人の顔は分かりません。「先週の説明会に出席しました。説明会の資料、内容の分かり易さ、時間厳守等とても参考になりました。」このお父さんは、会社の役員で職場の会議を全部取り仕切っているとの事。「参考にさせていただいています。」この行事は我が社の重要行事。成功かな!

 私のOIRON通信も13年が過ぎ、多くの人がホームページから検索して読んで下さっています。月1回、毎回返事をくれる人がいます。面識はないのですが返信の内容で、どの様な人物かを勝手に想像しています。読者の中には、最年長で、私の自宅から一番遠い方がいます。黄さんは台湾で貿易会社を経営していて、今年の5月で94歳になります。趣味は友人とハーレーダビットソンに跨り台湾内をツ-リングすることで、昨年はツ-リングの途中で事故に遭い、3ヶ月間入院してしまいました。3月の手紙には、無事退院し、再びオ-トバイと戯れていると書いてありました。彼は台湾でOIRON通信を読み、時にはKey Wordに合った論語を原文のまま送ってくれます。もちろん日本語も達者で、論語も分かり易く日本文にしてあります。なかなか手に入らない資料です。

 ドクタ-ストップがかかって現役を退き早5年。書ききれない程多くの方々に励まされ、色々な事を教えられました。今までお会いした方々は私の財産です。会った人全てが財産か?と言えば、騙されたことも多くあり、裏切られたことも、とばっちりを受けたこともあります。でも、これも財産かな?

 「民謡武田節」の中に「人は石垣・人は城、情けは味方、仇は敵・仇は敵」とあります。
そこまでは?!(典)

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