40周年 II

OIRON通信8月号で、創業40周年をブログにUPしました。何人もの方からお祝いのメ-ルを頂き、ありがとうございました。その中には40年間の感想を聞かせて欲しいというものもありましたので、今月号は40年間の中で思い出に残っていることを記したいと思います。

まず業界についてです。我々の年代で開塾した人は、学生運動に熱中した結果、就職できずに、知識を売る塾業界に入ってきた人、家庭教師の延長で開塾した人が多かったと思います。学生運動出身者は個性も強く、少し人間的に変わっている人が多かったようです。業界の会議でも「我先に」主導権を握ろうとし、自分が一番だとの思い込みから、なかなか社員が付いて行けず、後継者が見つからずに廃業した塾もありました。家庭教師の出身者や塾講師の出身者の中には、在学中に塾授業に魅力を感じ、大学を卒業せずに没頭した人もいます。確かにこの仕事は、1日、1ヶ月、1年で生徒の成績が変化して行き、教えた成果が目に見え、成果が短期間で上がれば上がる程やりがいがあるだけに、没頭するのも分かります。役所から何の規制もなく、届け出る書類も場所もなく、実力だけが勝負の世界だけにチャレンジする人も多いのですが、無くなって消えていく塾も多いのです。大言壮語の人も多かったと思います。

友人の紹介で、内外情勢調査会の会員になれた事は、私を大きくしてくれました。内外情勢調査会は、元内閣府所管の社団法人で㈱共同通信社も関連団体です。この会は都内のホテル(帝国・ニューオータニ・高輪プリンス)に都道府県の首長、会社経営者、管理職の人達を約千名集めて、昼食後90分の講演会を開催します。歴代の総理大臣は、就任直後に講演者となり、私も海部俊樹総理から歴代の総理の話を聞きました。中には「本当に日本を任せても大丈夫かな」と思われる人もいました。ノ-ベル賞受賞者、衆参議長、芥川賞受賞者、外国の大使など、普段聞けない人達の講演からは元気を貰い、三重県のド田舎から出て来て、今自分はこの席で著名人の講演を聞いているという優越感を感じました。頑張ってきた自分に対するご褒美でもありました。

その講演の中で最も記憶に残っているのが、クロネコヤマトの会長、小泉純一郎元総理、京セラの稲森和夫さんでした。クロネコヤマトは町の運送会社から、全国や海外まで荷物を運ぶ運送会社になりました。スキ-宅急便・ゴルフ宅急便・コレクトサ-ビス・夜間配達など、業界の先駆者です。会長の話は失敗話が多く、聞く失敗は、これも、あれも、それも、自分と同じ失敗でした。「大成功を収めた会長も俺と同じ失敗をしている」と心の奥で笑ってしまいました。誰もが通る失敗なのかと思いました。

小泉さんは90分メモ一つ見ずに日本の将来の夢を見せてくれました。話の内容が頭の中に映像として浮かび上がって来ます。90分が20分~30分と思う程、聴衆を一つにして自分のものにしていく話術はさすがでした。政治家の中には自慢話に終始した方もいましたが、話の途中で会員が少しずつ帰って行きました。

稲森さんは小さな町工場から、今の世界的な企業「京セラ」を創業した方です。話の内容は今でもはっきり覚えています。稲森さんは昭和34年創業でマラソンが好きです。創業時、職員に、「多くの一流会社は昭和20年に出発している。我々より14㎞先を走っている。チンタラチンタラ走っていては追いつくことが出来ない。思い切り走ろうではないか!」と話し、昭和46年に大阪証券取引所第2部に上場した時には、「ようやく第二集団に追いついた。第一集団(上場1部)はまだ先を走っている。同じスピ-ドでは第一集団には追いつけない。さらなるスピ-ドを!」と話したそうです。90分の熱い話に、我が社も出来ればと、夢を見ました。

この3人の方の話は、その中に身近で分かりやすい例題がタップリ含まれ、誰もが体験した、或はこれから体験する様な話で、笑いもありました。学ぶことの多い話が盛り沢山でした。

以上の体験は全て㈱専修が私にくれたプレゼントでした。有り難い事です。(典)