言葉の間

 令和になって初めての正月です。「明けましておめでとうございます。」私の正月は、鈴本演芸場で初笑い寄席を友人たちと鑑賞する新年会から始まります。「笑いは、副作用の無い特効薬」と考えています。以前、朝ドラで「笑ろてんか」がありましたが、上方演芸と江戸演芸には大きな違いがあります。上方は、木戸銭が後払いに対して江戸は前払いです。上方は演芸終了後の支払いです。面白くなければ支払わないお客もいたようです。お客さんに「飽き」が来ないように鳴り物を多く入れています。それに比べて江戸落語は、前払いです。しっとりと人情話をして、お客の心に入り込んでいきます。年の暮れになると、必ず「芝浜」が演じられます。「芝浜」で、魚屋の勝五郎は酒好きで怠け者。ある日、芝の浜で大金の入った財布を拾って有頂天。ところが翌朝財布は無く、女房に夢でも見たんでしょといなされる。それからは真面目に働き、3年後の大晦日、女房がある告白をする。「火焔太鼓」は、古道具屋から掘り出し物の太鼓を大名に売りに行く落語です。少し臆病な旦那と、それによりそう女将さんが、大名家と値段交渉をする場面をコミカルに早口で演じます。それぞれの人間味が頭の中に浮かびます。今年も木戸番の声に誘われて入場しましたが満席でした。まねき(演者札)には黒文字と赤文字で書かれていて、黒文字名は、落語家、落語家以外は赤文字で書かれています。落語家が高座に座り、本題に入る前に、時事ネタや同業者のエピソードで会場を和ませます。これを「マクラ」と言い、私は立川談志師匠のマクラが一番好きでした。マクラから本題に入り、人間味のある古典は、年の初めの心の栄養剤になります。正月公演は、多くの芸人さんが出演します。ネタが重ならないように、楽屋にはネタ帳があり、演者は演じた題目を記入する工夫がされています。演芸特有の言葉もあります。「甘金(あまきん)」金はお客のことで、つまらない事でもよく笑う客。「今日の客は甘金だね」と言ったりします。最後の演者の事を「オオトリ」と言いますが、このオオトリは落語から来た言葉です。芸人さんは、決まった出演料で演じていません。出演料はお客の入場者数で決まります。木戸銭の一定の割合で支払われます。入場者数が多ければ演者の取り分が多くなります。開演時、お客の数は少ないですが、終演に近づくとお客の数は多くなり満席になったりします。最後の演者が何人入場したかを確かめて、演者全員の出演料を預かり、出演者に配ります。全ての給金を持って帰る事から、最後の演者は「大取り」から「オオトリ」となりました。大もとの演芸場は損をしないシステムです。

 落語のマクラは授業の導入に当たります。導入が上手くいき、生徒に浸透すれば、その単元の半分は理解された様なものです。マクラの長さも演者によって違います。時間配分は参考になります。落語の、早くもなく、遅くもない「間の取り方」は面接の参考になります。赤物になりますが、漫才の「ボケ・ツッコミ」も微妙な「間の取り方」は参考になります。面接は、説得するのではなく、納得してもらうものです。そして、笑いがあれば和やかになります。落語家の皆さんは、時々自衛隊に出向きます。笑いの慰問ではありません。災害時に自衛隊の皆さんと被災者とのコミュニケーションをとるために、自衛隊に招かれています。

 年が明けてすぐ、年末に思うことを書くのは、憚りがありますが、おそらく「今年も早かったね」とボヤクでしょう。地球の自転はごくわずかですが、遅くなっています。もちろんひと月やふた月の単位ではありません。10万年かかって1秒遅れるという、微々たるものです。地球が誕生した45億年前には、1日が5時間しかなかったことになります。地球の寿命はあと50億年と言われています。その頃は1日が44時間に延びています。1日24時間では足りないと嘆く忙しい人、羨ましいかな?お互いに悔いの無い良い年にしましょう。(典)