継承

 今年も8月がやって来ました。8月は私が起業した月で、毎年感慨深いものがあります。親兄弟の猛反対を押し切り、保証された給与・賞与の会社員を辞めて独立に踏み切った1973年は、暑い夏でした。今年で46年、業界では歴史のある方だと思います。日本には「老舗」とか、創業○○年と歴史が刻まれた会社が多くあります。私は自己啓発セミナ-で「努力の報酬」の例として、老舗中の老舗、三越デパ-ト(現三越伊勢丹グループ)を取り上げました。三井家(三井財閥)は、私の郷里松阪で1673年、創業の火を点しました。松阪は、お伊勢参りの手前の宿場で、江戸からは、約20日間、東海道は整備されていたから近い方でした。街道不備の東北・九州からは2~3ヶ月かかりました。日本には四季があり、季節が変われば、着物も変わり「衣替え」が必要です。また、伊勢参りは新しい着物で参拝するもの。旅人は松坂宿で着替え、身に着けていた着物は古着として売り、松阪は有名な木綿の産地でしたから、身綺麗にしてお伊勢参りをしました。三井高利氏は、買い込んだ古着をリフォームして、江戸本町に「越後屋三井八郎右衛門」を創業しました。後に三越になります。この呉服店は、今までに無い商法をとり、大繁盛しました。伊勢商人商法と言われています。

 『店頭現銀売り』(たなさきげんきんうり)当時は、あらゆる商売は、得意先に行って注文を聞き、後から品物を持っていくか、直接商品を持って行くのが普通でした。得意先は、大名・武家・大商家で、支払いは年1回の「極月払い」か、年2回の「季節払い」でした。資金の回転が悪く、回収不能などの危険負担が多い商売でした。越後屋は現金を建前とした店頭販売で、客が店にやって来て、欲しいものを現金で買っていくという商売で、呉服屋では日本初でした。

 『現金掛値なし』当時は、客に高い値段を提示して、客によっては値引きがあり、値段の上下する習慣がありました。越後屋は「正札販売」、つまり値段を札に書いて商品に付けて、その価格で販売しました。定価販売は世界初でした。

 『切り売り商売』呉服屋では、反物単位の販売しか行われていませんでした。客の必要なだけの切り売りを日本で初めて行いました。一般庶民から大好評でした。この様な画期的な商法を次から次と打ち出し、当時富裕層だけの呉服を、広く一般市民のものにしました。

 長い仕事と言えば、農業があります。職業としては一番古いのではないでしょうか。縄文時代の後半から、弥生時代に入ると、お米作りが開始されました。今では、北海道から沖縄まで多くの人が農業に携わっています。「農業は何故続いているのか」社会から見れば誰かが食糧を生産しなくてはならないからです。しかし、農業人口は減り、一部ではありますが都会から、農業人になる人もいます。体力を使うし、決して大儲けする職業でもありませんが、何故続いているのでしょう?哲学者の内山哲先生の著書「考える旅に出よう」に、農業は面白いから続いていると書いてあります。この面白いは、遊びの面白いではありません。農業には作物が育っていく楽しみ、自分の農業の能力が向上していく楽しみがあります。作物だけでなく、土地や水のこと、自然のこと、肥料の作り方、畑の手入れ方法なども理解できなければなりません。作物によっては手を掛けるタイミングも違えば、収穫を増やす方法も違います。自分は自然と共に農業をしている、決して自分だけの力だけではないことが分かってきます。少しぐらい厳しいことがあっても、作物や自然が自分を向上させてくれる楽しさが農業にはあるのです。

 三越は350年近く、今でも営業しています。創業時から、企業として世間に無い物を提供し、客が求めているものが何かを追求する面白さがあるからでしょうか。農業は想像を絶する長い歴史が継承されています。面白い、楽しいから継承されています。

 面白く楽しくなければ塾じゃない。(典)

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