盲導犬

 私は時間を見つけて講習会に出掛けています。行く先は大学であったり、学習センタ-であったり色々ですが、講義開始の時間は殆ど午前中です。昨年の夏も、大学のセミナ-に出席するために自宅を8時に出ました。最寄りの駅前のロ-タリ-の信号で、通勤の人達の中に1人の50代の女性が同じ場所を「クルクル」回っていました。彼女は薄いサングラスをかけて白い杖を持っていることから目の不自由な方と直ぐ分かりました。「駅に行かれますか?」と声をかけると、「はい」との返事。女性の右手を私の左の肩に置き、改札口に通じるエスカレーターに導きました。目の不自由な人は聴感が鋭いのですが、信号機に付いている音声がどの方向からか分からなくなり、自分自身の方向感覚が錯覚に陥る事があるようです。私は、盲人の方を支援している「社会福祉法人東京光の家」に些少ですが寄付をして関わっていることもあり、盲導犬について調べてみました。

 盲導犬の歴史は、紀元前、イタリア南部の古代都市ポンペイの壁画に犬に引かれて杖をついた人が歩いている様子が描かれています。17世紀には、オランダの本に、人と盲導犬のイラストの下に「忠実な犬が彼を綱で引いている」と書かれています。盲導犬を組織的に育て始めたのは1916年ドイツの盲導犬訓練学校でした。第1次世界大戦で失明した兵士のために、軍隊で使う犬を訓練したのが始まりです。20年代には、ヨ-ロッパの各国が盲導犬の輸出をし、38年に盲導犬を連れたアメリカの青年が観光で日本を訪れ、横浜港に降り立ち、新聞に大きく報じられて、日本に盲導犬の存在が知られました。39年にドイツから4頭の盲導犬が輸入されますが、この輸入に尽力されたのが、老舗パン屋「中村屋」の2代目社長、相馬安雄さんでした。相馬さんはドイツで見た盲導犬に胸を打たれ、他の3人の実業家と、費用、当時の価格で1400万円を準備しました。4頭は、全てシェパードで神戸港に着きました。4頭はドイツ語での訓練を受けていたので、陸軍病院で、改めて日本語で教え直した後に、使う人に引き渡されました。国産第1号となった盲導犬は戦後の57年、訓練士塩谷賢一さんと盲学校の先生で訓練した「チャッピイ」でした。塩谷さんは2010年までの50年間で1129頭の盲導犬を育て、「盲導犬の父」と呼ばれています。現在日本には966頭の盲導犬が活躍していますが、塩谷さんのマニュアルが参考になっています。以前は盲導犬と一緒に電車やバスに乗る事ができませんでしたが、69年に新幹線で、73年にはJRが決まりを変えてから、78年にはバスやタクシ-も乗車可能になりました。2002年には「身体障害者補助犬法」が成立し、盲導犬・聴導犬(現在67頭)・介助犬(74頭)を連れて、店や病院に入ることを受け入れることが、義務付けられました。

 現在盲導犬の訓練は、静岡県富士宮市の盲導犬総合センタ-「盲導犬の里、富士ハーネス」で行われています。ここに1頭の剝製が展示されています。名前は「千歳」と言います。千歳は39年にドイツから輸入された4頭の内の子孫です。千歳にはドラマがあります。千歳と、戦争で失明した元軍人山崎金次郎さんは、買い出しに出かけた帰り、米軍の戦闘機に狙われました。千歳は戸惑う山崎さんを畑の中の小屋に連れ込んで、助けました。51年に千歳は息を引き取りましたが、山崎さんは千歳を見送った後「どんなに賢い顔か、どんなに澄んだ目をしていたか、1秒でもいいから見たかった」と話し、剥製にすることを望んだそうです。

 一昨年の夏は暑い夏でした。私は趣味で野菜栽培をしていますが、水道から野菜に散水していた時、1人の青年が遠くから駆けて来て、ホ-スの水が欲しいとジェスチャーで訴えました。彼の手にホ-スを渡すと、思う存分飲んで、両手を合わせて、お礼を言って立ち去りました。彼は聾唖の方だったのです。盲人の方は見た目で分かります。しかし、聾唖の方は見た目では分かりません。障害者の方に今、何ができるか?的確な判断が我々に求められているのです。そして、仕事においても、今何が必要か、的確な判断が求められています。(日本最初の盲導犬、葉上太郎著参考)(典)

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