悔いなし

 歌は世につれ、世は歌につれ、とよく言われています。私にも、忘れられない歌と自分の人生観の歌があります。忘れられない歌は、母がいつも口ずさんでいた「里の秋」です。母は若い頃、創設された女学校に学び、ソフトボール部を作り、自らキャッチャーとして、今でいうキャプテンになったようです。女学校は多方面からの下宿生もあり、「里の秋」を友人と歌っていたようです。母は歌詞の中で「ああ母さんとただ二人、栗の実にてます いろりばた」が一番好きだと言っていました。私の推測ですが、母の母が、囲炉裏端で栗の実を煮ていた姿があって、母の脳裏に焼き付いていたのでしょう。その母も24年前に79歳で他界しました。私には忘れられない歌です。

 もう1つの人生観の歌は石原裕次郎さんの「わが人生に悔いなし」です。この歌は、作詞なかにし礼さん、作曲は加藤登紀子さんです。なかにし礼さんは、自分の人生観と、大親友の裕次郎さんの人生過程を見て書いたそうです。作曲は、なかにし礼さんの友人の加藤登紀子さんしかいないとまで言われた曲です。なかにしさんと加藤さんは満州国の生まれで、生死ギリギリの混乱の中、日本の地を踏むことができました。自分の集大成とした「わが人生に悔いなし」を書きあげたなかにし礼さんは、この詩を作った後しばらく作詞家としてのペンを置きました。裕次郎さんも、病に倒れましたが、一時回復された時、ハワイになかにし礼さん、加藤登紀子さん、石原裕次郎さんの3人が寄りレコ-ディングされました。そして、裕次郎さんは半年後の1987年7月17日肝臓がんで帰らぬ人になりました。今年の7月で没後30年になります。裕次郎さんは往年の大スタ-です。若い方は知らないでしょうが、レコ-ディングした曲は296曲、映画は年間9本、生涯99本の映画に出演して、TVでは「太陽にほえろ」でも活躍されました。296曲の中で私の人生観に通じる歌が「わが人生に悔いなし」です。「鏡に映るわが顔に、グラスを上げて乾杯を、たった一つの星をたよりに、はるばる遠くへ来たもんだ、長かろうと短かろうと、わが人生に悔いはない/この世に歌があればこそ、こらえた涙いくたびか、親にもらった体一つで、戦い続けた気持ちよさ、右だろうと左だろうと、わが人生に悔いはない/桜の花の下で見る、夢にも似てる人生さ、純で行こうぜ愛で行こうぜ、生きているかぎりは青春だ、夢だろうとうつつだろうと、わが人生に悔いはない、わが人生に悔いはない」という歌です。自分が落ち込んで、追いつめられた時、鏡の前で自分の事を自分で褒めます「お前はよくやった。よくやってるじゃないか」と何度叫んだことか。今でも、朝洗顔しながら、1日の予定を頭の中で整理する毎日です。「親にもらった体一つで戦い続けた気持ちよさ」何とも表現できない快感を仕事で貰いました。そして、「生きているかぎりは青春だ」昨年私たちの年代は古希を迎えました。中学校、高校の同窓会が開催され、私も両方に出席しました。卒業以来の友もいて、「あの頃は良かった、もう1度戻りたい」と話す友人が多い中で、私は戻りたいとは思いません。私達の若い頃は、インタ-ネットも携帯電話も無い時代でした。調べたい、知りたい事は現地に赴き情報を得るしか手段がありません。現地に行くと知りたい事が必ずあるとは限りませんが、晴れて的を射た情報を手に入れた時には心から感動しました。付属情報も手に入れた時には二重の喜びがありました。インタ-ネットは確かに便利で、今の世の中に欠かせない情報ですが、現地には、現地でしか得られない情報があります。OIRON通信で「外に出なさい」というのはこの事です。

 私は時々、独りカラオケに行きます。約2時間、裕次郎さんの296曲の中の20~26曲を歌いますが、多くは本人が出演した映画が映し出されます。裕次郎さんの映画は、殆ど見ています。歌詞の裏側に映し出された映画が、自分がその時代、何をしていたか、その時代に、私をタイムスリップさせてくれます。カラオケボックスから出てくるとき「わが人生に悔いはなし」そして「生きているかぎり青春だ」と心で叫んでいます。悔いのない人生を!(典)

フォローする