経営者

 柏市に塾の前身を作った頃、私は職場まで電車通勤でしたが、杉戸町(住居)からでは時間がかかり、塾業を手掛けてからは、帰りが深夜に及びました。柏市からの帰り道、ふと覗いた中古車センタ-で車を買いました。通勤時間と費用・エネルギ-の消耗・他あらゆるものを比較(私は天秤の法則と呼ぶ)した結果、車の方に天秤は傾きました。古い8年落ちのクラウンでした。当時TVで「いつかはクラウン」というコマ-シャルが流れていましたが、私は車を買うなら型が古くても、日本の最高級車と決めていました。Dr Coxの教えが、骨身に染み付いていたからです。自分を高く売れ(その為にはスキルを磨け)、一流の物を持て(得るための計画を立てよ)、一流の者に習え(ポリシ-と技を盗め)、タダはタダの値打ち(提供される方もする方も価値は無い)、本物の味を知れ(ものの本心が分かる知識を持て)という教えでした。その後もクラウン、マジェスタと乗り継いできましたが、仕事帰りの深夜、タンクローリーに追突され、車は全損、むち打ち症に悩まされてから、事故に強いドイツ車に代えました。経営者は自分の身を自分自身で守る事も大きな仕事の一つです。他人以上に自分に厳しい態度も必要条件です。

 独立して間もなく、父親から「サラリ-マンと違い経営者ならば警察・医者・銀行と仲良くなれ」との提言を貰いました。父親も商売人でしたから、自分の経験上から私に話したのでしょう。

 私は独立した頃から、クレ-射撃に興味を持ち、大病するまでは趣味の一つでした。クレ-射撃は警察で鉄砲所持の許可を受け、その後も玉の購入の許可、毎年の鉄砲検査、更新の講習と警察署に行く機会が多くありました。また交通安全協会の会員としてや、ロータリークラブでの付き合いも有り、署員や署長とも顔見知りになりました。杉戸町から越谷市に引っ越して、越谷警察署に用事があって行くと、以前杉戸署にいた方が転勤してきていました。役所は知り合いがいるのといないのでは大きな違いがあります。手続きがスムーズに完結します。

 医者は、杉戸町に住んで、町内で一番大きな病院の医師が主治医になってくれました。この病院のおかげで最初の心筋梗塞の早期発見、治療が出来ました。主治医からは「専修ニュ-ス」に受験生の健康について投稿してもらったり、社員の健康診断にアドバイスをもらったりしました。定期的な検診、予防も主治医が計画的に組んでくれました。

 銀行は、最初に信用貸しをしてくれた第一勧業銀行(現みずほ)を中心に取引が始まりました。よく「銀行から接待の旅行に誘われた」と聞くと、多くの預金をしていると思われますが、銀行はいくら預金をしても、くれるのはポケットティッシュ・アルミホイル位です。今話題の半沢直樹ではないですが、銀行の本業は金貸しです。お金を借りてくれる会社がお客で、接待の対象になります。銀行とは色々なバトルを繰り広げました。特に借金の利息には熱が入りました。0.1%~0.2%下げよ、下げない、の攻防です。もし5千万円借りても、年間の利息が0.1%なら5万円、月に直せば4千円強の利息が増えるだけですが、その0.1%にこだわりました。相手が提示した利率を下げる交渉は、如何に自社の評価を上げるかです。支店内で一番低い利息で借りる、言い直せば支店内で一番信用のある会社である事を認めさせることです。我が社の担当は融資課長でした。銀行員の名刺に「支店長付」と印刷されている行員は平社員で権限も決定権もありません。課長が担当だと話は早く即決です。

独立してから引退まで私の人生は「借金人生」でした。これには理由があります。借金をして、決算書を見せ、専門家のアドバイスも貰いました。知識の構築、経営の哲学を学ぶ最高の機会を与えてくれました。銀行の表も裏も知る事ができ、経営者の務めも教わりました。これら全てが「借金から得た副産物」です。大きな借金(不動産購入)は6年生の在籍者数が大きな判断材料です。その生徒が卒業する中3までの財政計画が立てられます。10年返済で借りて5年で完済。銀行は渋りますが、これが信用です。経営の根本は信用・信頼の構築です。

警察・医者・銀行に、もう一つ欲を言えば経営者には健康が必要です。社会においても、社内においても、家庭においても、対生徒においても、健康は引き受けた事柄に対する責任感です。(典)

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